研究成果
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「軍縮よさらば」なのか?― インドは米国の「核のテント」に入った ―

(The Daily Star, 2005年11月1日)

 去る7月、インドのマモハン・シン首相が米国のブッシュ大統領と米印原子力協力協定に署名したことは、インドのエネルギー政策のみならず、外交政策および国際安全保障態勢までもが大きく転換したことを意味しますが、それが顕かになりはじめました。
 インドはイランからのガス・パイプラインのことを心配し始めています。インドが米国と結んだ「戦略的パートナーシップ」と、インドの長きにわたる友人であるイランと袂を分かつことの関連が明らかになってきました。9月24日、インドは国際原子力機関(IAEA)[1]において、非同盟諸国(NAM)[2]の一員としての立場を降り、米国と共にIAEA規則の些細な違反についてイランを国連安保理に付託することに同意の投票をしました。
 この投票態度はインドの対外政策決定における基本姿勢の変更を意味しました。しかもこの態度は、シン首相がニューヨーク訪問のためにインドを出発する2週間も前に決定していたのです。
 この度、シャイアム・サラン外務大臣はインドの核態勢のさらなる転換を表明しました。ニコラス・バーンズ米国務次官のインド訪問2日後の10月24日のスピーチで、同外相はインドの新しい核ドクトリンを概説しました。
 60年を経て、インドは厚顔にも軍縮の夢を葬り去り、「責任ある」核兵器国になること、すなわち自国の核兵器庫を保持・拡大する一方で他国の核取得を阻止することを決意しました。これが一方的不拡散の真の正体です。
 このような偏った見解は、サラン外相のスピーチにも良く反映されています。スピーチの中で同外相は、1988年に国連に提出した、グローバルな核廃棄に関するラジーヴ・ガンディーの計画を無視するために「軍縮」という語を一度使いましたが、「グローバルな核軍縮」と言う言葉は一度も使っておりません。しかし「不拡散」は25回も使っているのです! これはインドの長年にわたる政策および、核兵器のない世界のための戦いの「リーダーシップ」をとるという、つい昨年の統一進歩連盟(UPA)[3]の厳粛な誓いからの恥ずべき決裂です。
 それにもかかわらず、サラン外相はインドの核政策の「継続性と整合性」を主張しています。そして、この主張を貫くために核軍縮に関するインドの記録を偽りました。同外相は、インドは不拡散の「創始者の一人であると正当に主張できる」と言います。彼はネルーが不拡散の提唱者であると主張しますが、これほど真実からかけ離れていることもないでしょう。ネルーは核軍縮を唱えたのであり、不拡散ではありません。
 この2つの語には明確な違いがあります。不拡散とは核兵器の水平的拡散(即ち核兵器国以外の国への拡散)および垂直的拡散(即ち現有兵器庫の拡大及び精密化)を阻止することです。核軍縮とは全ての国から核兵器をなくすることです。
  不拡散は大量破壊兵器(WMD)の正当性を受け入れ、軍縮はWMDを地上から廃絶しなければならない、紛れもない悪であると見做しています。
 核軍縮の前提は、核兵器は安全保障をもたらさず、国家主権の擁護にもならないということです。核兵器は究極の恐怖の手段です。核兵器は強さの象徴ですらありません。核兵器の保有は戦略的優位や軍事的勝利を保証しません。もしそうであれば米国がベトナムで負けたり、ソ連がアフガニスタンで負けたりしなかったはずです。
 もちろん、核兵器の廃絶と核兵器の段階的削減は関連しています。だからこそ1954年にネルーは、インドとしては核兵器を放棄するとともに、包括的核実験禁止を提唱したのです。インドは1974年の核爆発実験の後においても核の制限と不拡散を軍縮と関連し続けています。
 しかし、今やその関連は断ち切られました。これはネルー主義の遺産への裏切りです。
 たった10年前、インドは国際司法裁判所(ICJ)[4]において、核兵器は国際法と相容れないと主張しました。インドの外務大臣は「我々は核兵器の取得が国家の安全保障に必要不可欠とは信じていない・・・我々もまた核兵器の存在が国際の安全保障を弱体化させると信じている」と述べています。
 国際法に関する世界の最高権威であるICJは1996年、核兵器は一般的に言って違法であると判断しています。
 その2年後にインドは5つの核爆弾を爆発させ、自ら「核のアパルトヘイト」と糾弾していた核による覇権主義に固執するグループに参加しました。この爆発には安全保障に関する何の理論的根拠もなく、バジパイ政府は公約した戦略的防衛の見直しを実施しませんでした。同政府は、単に、ある特定の政治的潮流の持つ執念を充足したのみでした。
 決定は閣議には諮られなかったが、RSS[5]には諮られました。それどころかRSSが指示したのです。
 インドはパキスタンを挑発し、まもなく核の敷居を越えさせました。1年後、両国は核兵器国間としては史上最も深刻な通常戦争を戦いました。今日、両国の何百万の民が核ミサイルの攻撃に晒されています。
 1998年以来、インドの軍事支出は倍増以上となり、インドはパキスタンとの小さい競争と中国との大きな競争という二つの軍備競争に巻き込まれています。ポカランU[6]以来、インドの自立的なグローバルマヌーバーの余地は狭まっています。
 いまや、インドは1998年の失敗に折り合いをつけようとしています。インドは米国との合意に高い利益を付与しているのでこれを維持するために、エネルギー政策、農業やサービスに関する貿易交渉、特許、そしてイラン問題に関する圧力に対してあらゆる妥協を余儀なくさせられる羽目に陥ることになるかもしれません。
 サラン外相は既に、インドは「WMD関連技術に関する秘密の行動の追求」を受容できないと述べ、イラン問題に関する次の投票の態度決定の準備に入っています。これは大事に聞こえますが、米国からの圧力を反映しているものでしかありません。
 不拡散の時流に乗ることによって、インドは世界の笑いの種になりつつあります。インドは偽善的に平和の戦士から覇権の戦士に移行しようとしています。多極世界に追従しながら米国に降伏していることはインドを世界の笑いものにします。
 インドは国連の人間開発指数(HDI)[7]では哀れにも127位(これは世界の下位4分の1に属する)です。このことと考え合わせれば、インドの核態勢は信頼性を欠いています。  インドが貧困であったときには、その民主主義、倫理的明快さ、世俗主義および世界を良くしようという努力に対して世界の賞賛を勝ち取っていました。新しい転機はインドからこれら全ての賞賛を奪い取り、世界の軽蔑と、そして侮辱すら受けることになるでしょう。
 多くの国が道徳的目的の下で暴力を振るう強大国や弱いものいじめする国となることを恐れています。しかし誰も彼らを尊敬しているわけではありません。インドはこのような尊敬されない者達の同盟に加入しようとしているのです。


[1] International Atomic Energy Agency(IAEA):国際原子力機関。1957年7月29日設立。平和的な原子力の使用と原子力の軍事的使用の廃絶を主旨としている。アイゼンハワー大統領の1953年の“Atoms for Peace”スピーチが設立の元となる。
[2] The Non-Aligned Movement(NAM):非同盟運動。自国を主力国家と共にも反対ともしていない100を超える国家からなる国際組織。NAMは国家の自立への闘争、貧困の消滅、経済的成長を目的としており、植民地主義、帝国主義、そして新植民地主義を判定している。NAMは地球上55パーセントの人口と国連の2分の3のメンバーシップを代表している。
[3] United Progressive Alliance(UPA):統一進歩連盟。インドの現政権政党。
[4] International Court of Justice(ICJ):国際司法裁判所。
[5] Rashtriya Swayamsevak Sangh(RSS):1925年に創立されたヒンドゥー至上主義組織であり、民族奉仕団のことを指す。RSSはインド民族運動の過程で、ヒンドゥー全体が共有すべき民族意識の醸成等に重点を置いた組織である。また、1948年のインド建国の父ガンディー暗殺に関連しているとも言われている。さらに、1950年インド人民党(BJP)の前身であるジャンサング党の結成の際に支持母体となって影響力を行使し、その後ジャナタ党政権にも加わった。だが一方で、組織の内容や運営等内部の事情は未だに不明瞭な部分が多い。
[6] Pokharan-II:インドが核兵器国として名を馳せることとなった1998年5月に行われた計5回にわたる核実験のこと。この実験は数日後にパキスタンをチャガイへと駆り立て、パキスタンを核兵器国として世界に知らせることになる。
[7] Human Development Index(HDI):人間開発指数。国家の豊かさを測る指標。この指数は一国家の平均的な人間の3点を計る。その3点とは、平均寿命、教育、そして生活水準である。

(日本語訳 向和歌奈・軍縮・不拡散促進センターインターン)